夏目金之助の幼年・少年時代は、安定した親密圏・家族関係がないどころか、それがめまぐるしく形を変えていく、苦難に満ちたものであった。同時に、他方では、ほとんど絶え間なく、美しく個性的な少女・女性たちと、身内として身近に接する機会に恵まれていた。漱石の小説には、こうした、早世した女性たちの姿・面影、彼女たちとのやり取りが留められているのではないだろうか。

 

「浜路」(『南総里見八犬伝』)──千代子(「彼岸過迄」)、お延(「明暗」)

 『南総里見八犬伝』(第三輯)には、大塚村の庄屋蟇六(ひきろく)・亀篠の夫婦によって、犬塚信乃(しの)と幼い頃から一緒に育てられ、里人にも祝言を待ち望まれていた娘・浜(はま)路(じ)が、信乃が旅立つ前夜、寝所に忍んで、夫婦約束をした仲ではないか、連れていってくれ、さもなくば殺して貞節を守らせてくれとめんめんと口説く場面がある(「浜路クドキ」)。信乃は堪えて応じないのではあるが。

 他方、「道草」には、吝嗇な養父・島田(養父・塩原昌之助がモデルとみられる、以下同様)、言葉巧みに人を操る養母・御常(養母・やす)、この御常を捨てて島田が同居する「お藤さん」(日根野かつ)の連れ子の「お縫さん」(れん)、そして、(実は養子の)健三(金之助)が登場する。奇妙なことに、この人々は、それぞれどこか、強欲な蟇六、口と腹が逆の阿漕な亀篠、美しい養女・浜路、そして、犬塚信乃という『南総里見八犬伝』の登場人物を思わせる。

言い換えれば、事実上の自伝である「道草」にみえる島田一家(塩原昌之助一家)は、『南総里見八犬伝』の蟇六一家とどことなく似ているのである。なかでも、健三(作者)によって発掘されていく島田・御常夫婦(「道草」)は、蟇六・亀篠夫婦(『南総里見八犬伝』)の相似形といってよい。

 どうしてこのようなことが起こるのであろうか。

 おそらく、それは、幼い金之助が、『南総里見八犬伝』(第三輯)という筋書きを通して、自分の周囲を理解していたためではないだろうか。そのために、子供の頃どう思っていたのかを健三が発掘していけば、蟇六・亀篠に似た親(養父母)の姿が立ち現れてくるのであろう。(なお、満七歳の金之助は、やすと二人で暮らした後、昌之助に引き取られて、浅草寿町で一八七四年十二月から一年余り、「れん」及びその母と同居することになる。)

 言うまでもなく、この世界では「れん」こそ、浜路である。むろん、自分は、浜路に思いを寄せられている信乃である。とはいえ、「れん」は、やがて、金之助の想定(思い込み)などお構いなしに、軍人・平岡と結婚して連れ去られてしまうのではあるが。(なお、この「平岡」という名が、「それから」の三千代の夫の名であることに注目したい。)

漱石の小説で、この浜路のイメージは、「彼岸過迄」(「須永の話」)の千代子、「明暗」のお延へと展開していく。

言い換えれば、「彼岸過迄」(「須永の話」)の「恐ろしい事を知らない女」千代子──なかでも市蔵に対しては命令する特権があるかの如く考えているという積極性──には、幼い頃から一緒に育てられ、夫婦約束までした仲ではないかと信乃に迫る、浜路が原型になっていると考えられる。

 また、「明暗」のお延は、じつは、「お朝」(「惚れる女」という江戸文芸の女性の型)を元に、作者が造形(改良)したものではないかと考えられる。つまり、「惚れる女・惚れられる男(惚れない男)」という型の延長上に、それに止まらず、惚れた男に自分を愛させることを決意してそれを実行に移す女性として造形されたと考えられるのである。浜路が、惚れた男をめんめんと口説く(男に我が身を投げ出す)のに対し、お延は、そこに止まらず、相手にもまた自分(だけ)を愛させる、と決意して実行するということである。ちなみに、お延は、おそらく、浜路のように「貞節」を守って命を落とすのではなく、象徴的に「貞節」を全うすることになるであろう。総じて、お延は、『南総里見八犬伝』の浜路を、女性が生きる方向へ描き直すものになるはずである。

このように、漱石が浜路にこだわり、浜路の改訂版ともいえる「千代子」や「お延」を描いていく底流には、「れん」に対する哀惜・哀悼があるのではないだろうか。言い換えれば、浜路を原型にした女性たち、すなわち、千代子、お延、あるいはまた、「道草」に見える「お縫さん」は、早世した「れん」を、文章の上で蘇らせる行為であったのではないだろうか。

 なお、「れん」の美しさを保存した絵画的イメージとしては、「女はものう気に後を向いた。其の時女の眉は心持八の字に寄つて居た」(「文鳥」五)、「首をすくめた、眼を細くした、しかも心持眉を寄せた昔の女の顔」(同)、「襟の長い、脊のすらりとした、一寸首を曲げて人を見る癖があつた」女(「文鳥」六)等がある。

 また、「夢十夜」(第一夜)の「すらりと、揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けてゐた細長い一輪の蕾(つぼみ)」も、「脊のすらりとした、一寸首を曲げて人を見る癖」(「文鳥」六)を思わせる。

 ちなみに、お縫さん(「道草」)は、「すらりとした恰好の好い女で、顔は面長の色白といふ出来であつた。ことに美くしいのは睫毛の多い切長の其眼」(「道草」二二)とされている。

 翻って、「大きな潤のある眼で、長い睫に包まれた中は、只一面に真黒」(「夢十夜」第一夜)、あるいはまた、「三千代は美くしい線を奇麗に重ねた鮮かな二重瞼を持つてゐる。眼の恰好は細長い方であるが、瞳を据ゑて凝(じっ)と物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える。代助は是を黒眼の働らきと判断してゐた」(「それから」四)、「此黒い、湿(うる)んだ様に暈(ぼか)された眼」(同)は、むしろ、楠緒の絵画的イメージではないだろうか。「行人」では、おそらく楠緒を念頭において、「その娘さんの大きな潤った眼」「その女の美しい大(おおき)な眸」(「帰ってから」三一)と描かれているのである。

  

嫂・小勝、登世──梅子(「それから」)、お直(「行人」)

 ともに早世した、金之助が同居したことのある嫂・小勝、登世の面影は、代助の嫂・梅子(「それから」)、二郎の嫂・お直(「行人」)──つまり、それぞれ、‘居候’の義弟を扱う嫂──に留められているのではないだろうか。

 たとえば、呼ばれて立ち上がった梅子に続いて代助が客間を出ようとすると、「あなたは其所に居らつしやい。少し話があるから」(「それから」三)と梅子がいい、「代助には嫂のかう云ふ命令的の言葉が何時でも面白く感ぜられる」ところなどである。

 なかでも、「行人」のお直には、嫂・登世を彷彿とさせるものがある。「行人」(「塵労」)のお直は、「彼女は眉をひそめる代りに端然と坐つた。恰も其坐つてゐる席の下からわが足の腐れるのを待つかの如くに。要するに、彼女の忍耐は、忍耐といふ意味を通り越して、殆んど彼女の自然に近い或物であつた」と描かれている。これは、正岡子規への手紙で、「先づ節操の毅然たるは申すに不及(およばず)、性情の公平正直なる、胸中の洒々(しゃしゃ)落々として細事に頓首せざる抔(など)、生まれながらにして悟道の老僧の如き見識を有したるかと怪まれ候」と描かれた、登世を思わせるのである。

 

花嫁姿

 大塚楠緒と保治の結婚披露宴は、星岡茶寮での園遊会として盛大に開催された。「尤も憐れなる服装で」(「野分」九)園遊会に現れた「高柳君」ならぬ金之助には、裾模様の紋付を纏った楠緒の花嫁姿が目に焼きついたのであろう。

 「野分」では、園遊会で、「女は紋つきである。裾を色どる模様の華やかなるなかから浮き上がるが如く調子よくすらりと腰から上が抜け出でゝゐる。ヸ―ナスは浪のなかから生まれた。此女は裾模様のなかゝら生まれ居る。」(九)と描かれている。楠緒の美しい花嫁姿が、絵筆ならぬ、文筆で遺されたのではないだろうか。

 なお、「草枕」で「那古井の嬢さま」は、「裾模様の振袖に、高島田で」(二)、馬に乗ってお嫁入りしたという。画家が宿にいると、「振袖姿のすらりとした女」(六)が、向こうの二階の縁側を寂然として歩いて行き、「腰から下にぱつと色づく、裾模様」が見えるのである。この、「裾模様の振袖」でお嫁入りした嬢さまとは、世が世なら旗本の姫さまであった「れん」ではあるまいか。

「あとがき」にかえて ── 小説に遺された“美しい女”たち

© 2017 Sumiko Sekiguchi